ジョン・レノン・ミュージアム 



 いつでも行けると思いつつ、その中途半端な遠さのせいで行けずにいたジョン・レノンミュージアム。ついに行って参りました。

 ジョンの使っていたギターや作詞の生原稿を見れたのは感激。しかし、ミュージアム自体はなぜか寂しさが漂っているような気がした。たとえば宝塚の手塚治虫記念館はもっと見ごたえがあった。世界に冠たるアーティスト、ジョン・レノンミュージアムなんだからもっとやりようがあると思うのですが・・・

 私が一番関心があったのは、ジョンのギター。中学生の頃からあこがれていたあのリッケンバッカーを、ついに目の前で見ることができる! これは感激です。

 ハンブルグで手に入れた、有名な一本目の58年製325。現役時代の黒から、買ったときと同じナチュラルにリフィニッシュされているためか、ダメージは見当たらない。でも、50年近く経過し、ロックの歴史を作ってきたギターは、やっぱり神々しく見えた。ペグのギアは錆だらけだったけど。

 ショートスケールだけあって、小さいギターだった。当時のヨーロッパでは非常に珍しく、前衛的なデザインのギターを目にしたジョンはきっと矢も盾もたまらず手に入れたんだと思う。音は二の次だっただろうな。

 二本目は64年製の325。コンサートのセットリストが、ホーンのあたりに貼ったままになっていることで有名なギターだ。実際目にすると、近眼のジョンに読めたんだろうかと思うほど小さな字で書かれていた。"If I Fell"もあった。65年のコンサートかな。66年はカジノに変えたから、あのリッケンにとって最後のコンサートのセットリストだろう。

 このギターを見ていて、発見をした。ネックが折れているのである。ナットの裏あたり、一番折れやすい部分にヒビがあるのを見つけ、よく見るとヒビを通り越して折れていた。

 弦は張ったままなので、もしかしたらミュージアムの担当者も知らないのかもしれない。あのままでは弦の張力で前側へボキッと倒れてくるのではないかと心配になった。

 クラプトンのストラトブラッキーがオークションに出たとき、1億2千万で落札された。ジョンの325なら、3億円以上の値がつくんじゃないだろうか。まさに人類の至宝である。いつネックが折れたのか知らないが、大切にしてほしいものである。

 エピフォン・カジノ。レット・イット・ビーで活躍していた、あのギターである。あれが目の前にある。トグル・スイッチはブリッジ・ピックアップ側に倒れている。ジョンがスイッチをいじってから、そのままなんだろうか。ペグはグローバーのゴールドに取り換えられている。ピックアップカバーはメッキがくすんでいた。それにくらべてテールピースは光沢を残していた。ニッケルメッキかクロームメッキの違いなのだろうか。これも聖なるギターだなあ。

 ギブソンJ-165E。ベッドインのイベントで弾いていた、ナチュラルボディにジョンのイラストが描かれている、これも有名なギターだ。

 食い入るように見たが、金属パーツはピカピカ、ピックでこすれた跡もない。よく見ると新品である。レプリカであった。本物はどこか別の場所での展示に貸し出してあるのかもしれない。それにしても、断わり書きがなかったなあ。

 レスポールJr改。ソロになってから弾いていたギターである。チャーリークリスチャン・ピックアップが増設されている。ギターの裏側が見えるように鏡がセットされていたので、必死にのぞき込んだ。大きなピックアップを増設するために、裏側からザグリを入れ、黒いプラスティックパネルで蓋をしてあった。

 オベーションも展示してあったが、弦が切れ、手入れされていない状態だった。弾いた痕跡も見当たらなかったし、もしかしたらジョンの弾いていたものではなく、同じモデルをおいてあるだけかも。

 個人的には満足したけれども、万平台ホテルのカフェもなくなってしまったし、ちょっと寂しい感じのするミュージアムでした。

 せっかく日本にジョンのミュージアムがあるのだから、もっと知恵を集め、エネルギーを集め、金を集めて盛り上げないと、もったいないと思う。

 ビートルズのLP 



 部屋の掃除をしていたら、LPが出てきた。神戸の実家を取り壊したときに、こちらへ送ったまま埋もれていたのだった。

 とりあえず出てきたのはビートルズばかり。驚いたことに、自分の持っていたレコードを忘れている。「ビートルズNo.5」「ヘイジュード」「ミート・ザ・ビートルズ」「ビートルズ・ストーリー」・・・こんなレコード持ってたっけ?

 覚えていたのは、オールディーズというベスト盤。これはたぶん最初に手に入れたビートルズのレコードだ。1966年に書かれた福田一郎の解説が時代を感じさせる。「リボルバー」の話が延々と続き、次のアルバムはどうなるんだろう、と書かれている。サージェント・ペパーの出る前の話である。

 これらのレコードをかけてみた。まず、「ヘイジュード」。なんだか収録曲数が少ないLPだ。B面なんか4曲しか収録されていない。このアルバムや「ビートルズNo.5」「ミート・ザ・ビートルズ」などは、編集盤であって、イギリスで発売されたものとは内容が異なり、その後のCD時代には姿を消したのだ。このほかにも「プリーズ・プリーズ・ミー」「ウィズ・ザ・ビートルズ」「ビートルズ・フォーセール」「ハード・デイズ・ナイト」「ヘルプ」などのアルバムも出てきたから、効率の悪い集め方をしていたことがわかる。これも変な編集盤を出していた東芝が悪いのだ。貧しい中学生を混乱させるなんて。

 オールディーズのジャケット裏を見ていて、ポールが着物を着ているのを思い出した。紋付きだ。「壽」と書いてあるのだろうか。メンバーの真ん中には木の箱がテーブル代わりに置いてあり、その上には香炉が載っている。中国の、玉でできた香炉ではないだろうか。着物は覚えているが、香炉は気づかなかったなあ。

 CDは匂いなどしないが、アナログのレコードには独特の匂いがある。今日、その事を思い出した。ターンテーブルにレコードをセットし、ほこりをクリーナーで拭き取り、プレーヤーのスイッチを押すとアームが動いてレコードに針を落とす。

 リクライニング・チェアに身を沈めてオットマンに足を置き、じっくり耳を傾けてみた。20歳で実家を離れてからは聞いてないわけだから、なんと27年ぶりである。

 デジタルになって進歩したはずだが、アナログの音も別に悪くない。CDに負けていると思えない。

 違いと言えば、ベースの音は今のCDの方がよく聞こえるような気がする。しかし、アナログの方が低音から高音まで自然にまとまっているような気がする。ダイナミックレンジの広いCDのほうが迫力はあるが、アナログの方が上品で優しい音のように思える。

 結婚後しばらくして買ったサンスイのシステムコンポは、レコードプレイヤー対応だった。当時すでにCDが主流になっていて、「レコードなんて聴きますか」と店員に言われたことを思い出す。80年代の終わり頃、20年近く前の話だ。オーディオの名門だったサンスイはその後イギリスの会社に身売りし、さらに香港の会社に売られた。いまはどうなっているのだろうか。

 そのコンポもついにCDプレーヤーが壊れ、お払い箱寸前である。しかし、まだダブルカセットの片側が生きているし、レコードプレーヤーもつなげる、貴重な存在である。レコードプレーヤーはトリオ製。学生時代、卒業して故郷へ帰る先輩がくれたものだ。これもなかなかいい製品のようで、製造後25年くらい経過したはずだが健在である。

 アナログレコードを聴くのは手間がかかるが、それだけの価値があるものだということを再認識した。たんなる郷愁ではなく、確かに音が違う。音がいい、悪いではなく、違うのだ。

 幸いにもレコードも機材もあるので、これからは時々レコードを聴いてみよう。レコードはCDに負けない素晴らしいものだと思う。が、復活はしないだろうなあ。

 生きる喜び 

 朝日新聞の夕刊一面で、「ビートルズの時代」という企画が連載されていた。それは三週間続いた。連載9回目で、湯川れい子のこんなコメントが載っていた。

「彼らが歌ったのは、楽しく暮らそう、仲良くしようということと、生きる喜び」

 確かに、ビートルズの音楽の魅力を一言で言うと「生きる喜び」かもしれない。生きる喜びをビートに乗せて表現することに成功したんだと思う。

 Beatlesと名乗るだけあって、彼らのBeatには特別なものがあった。ジョンのリズムギターには、シャーマニックに観客を「持って行く」力があった。リンゴのドラムもバンドのノリを着実に支え、キープし、増幅する力があった。そこへウラ乗りのジョージのギター、ハイセンスなポールのベースが融合し、史上最強のグルーヴが生まれたんだと思う。

 60年代前半、ビートルズのコンサートでは観客が熱狂し、失神者が続出した。普通のホールでは観客が収容できず、スタジアムをコンサートに使用したのは彼らが最初だった。日本武道館を最初に使ったミュージシャンも彼らだった。日本公演では、失神どころか失禁した女の子も続出したという。

 音楽によって「生きる喜び」を表現し、若者のエネルギーを解き放ったビートルズ。それは失神、失禁するほどすごかったのだ。

 生きる喜び。それは言葉ではなくて感じるものだ。現代の日本は生きる喜びを感じにくくなっている。だが、ビートルズを聞くことで、それを思い出し、奮い立たせることができる。

 当時の日本は高度成長期にあり、私自身は70年代、中高生というその後の自分を決定づける時期に彼らの音楽を浴びるように、貪るように聞いた。

 私はミュージシャンではないが、雑誌を作り、文章を書くという仕事においても、当時吸収した「生きる喜び」を表現しようとしてきたんじゃないかと思う。

 読んで元気が出てくるものは、当然喜びを持って作られたものだ。喜びを持って仕事をすること。それが今年の、いや一生の私のテーマです。

 ポール再発見

 私はずっとジョン・レノンのファンで、強く惹かれる曲はジョンの曲ばかりだった。だが、昨日あたりからなぜか「For No One」という曲が何度も頭の中に聞こえてくる。試しにパソコンに入っているこの曲を聴いてみたら、なぜだか心に沁み入ってきた。

 シンプルなアレンジに控えめな歌い方で、美しいメロディ。イギリスっぽくて、いい曲だと思った。昔から知っている曲なのに、新たな魅力を発見したような気分だ。

 この曲は「Revolver」というアルバムに入っている。アルバムごと通して聞くと、「Here, There, And Everywhere」にもまた感動した。これもシンプルで美しい曲だ。

 ポールもなかなかいい曲を作っていたんだな。と、当たり前のことに改めて気がついた。

 私は高校時代、ギルバート・オサリバンというシンガーが好きで、アルバムを持っていた。「アローン・アゲイン」や「クレア」という曲が70年代にヒットした、イギリスの人だ。何年か前に「アローン・アゲイン」がリバイバルヒットし、来日もしたので知っている人も多いと思う。

 数年前の再来日でテレビに出てアローン・アゲインを歌っているのを聞いて、はたと気づいた。ポールに声も歌い方も、音作りも、そっくりな気がしたのだ。高校生の頃は気づかなかったが、イギリスの匂いがぷんぷんしたこの曲に、ビートルズを重ね合わせて聞いていたのだな。

 先日、女房の誕生日のためにケーキを買いに行った。待っている間、店内にはアローン・アゲインがかかってきた。今聞いてもいい曲だ。今はもうこんな音作りはできないだろう。彼のLPを聴き倒していたころが懐かしい。


 最近のポール 

 ビートルズを聴きながら仕事をすると、精神的に盛り上がっていいのだが、欠点もある。それは一緒に歌ってしまって仕事にならないのだ。中学生の頃から聴き続け、歌い続けて30年あまり。しみこんでしまっているのである。

 ビートルズファンのとある編集者から、先日のLIVE8でポール・マッカートニーU2をバックに"Sgt. Pepper's"と"The Long And Winding Road"を歌ったと聞いた。そのときはまだ日本のiTunesミュージックストアが始まっていなかったので購入できなかった。

 6日に日本でも始まったので、さっそくサンプルを聞いてみた。

 ちょっとがっかり。最近のアメリカでのライブでも相当声が衰えていて往年の輝きはなかった。今回も"The Long〜"はともかく、"Sgt. Pepper's"のシャウトは聞くのが辛い。

 ポールも60過ぎだもんな。年相応の歌を歌わないとな。

 インターネットラジオからも私のMP3コレクションからも、全盛期のポールの若々しい元気な声が聞こえてくる。本当に生命力に溢れたいい声だ。それだけに、残念だ。

 ジョンもジョージも死んでしまったし、ポールには元気でいてもらわなければ困るのだが。

 東京ビートルズ 

 Beatles-A-Rama!!を聞いていたら"All My Loving"がかかっていた。この局はありふれた曲でも思わぬマニアックなバージョンを選ぶことがあるので、ホームページで演奏中の曲を調べてみた。

 すると、"Meet The Beatles"(Box Set)とある。ボックスセットって何?、と思わず"BUY"をクリック。amazon.comのホームページが表示されたが、そこで出てきたアルバムがこれだ。

Meet the Tokyo Beatles [IMPORT] [ORIGINAL RECORDING REMASTERED]

 なぜだ。"Meet The Beatles"(Box Set)をクリックしたのに、なぜTokyo Beatlesなのだ。これもBeatles-A-Rama!!のふざけたところだ。

 気になって調べる。ようやくわかったのは、64年にビートルズのカバーを出した「東京ビートルズ」というバンドの再発CDだということ。邦題は「Meet The 東京ビートルズ」

 アマゾンのカスタマーレビューによると、「ビートルズの代表曲4曲にべらんめえ調の、これぞ下町日本語的歌詞を付け、ハーモニーを頑なに拒否したビートルズナンバー」なんだそうだ。聞いてみたいような聞きたくないような。



meet the 東京ビートルズ