明けましておめでとうございます

 10月から都心の事務所まで通うことになったので、blogを書いている時間がなくなった。書きたい内容はいろいろと思い浮かぶのだが、帰宅して食事をし、風呂にはいるともう寝る時間。練習もままならない毎日だった。

 幸い正月は比較的時間がとれるので、何本か書ければと思っている。

 今年で自分も48歳、人生の後半戦を真剣に考えなければならないと思っている。これまでは自分に入力することばかり考えてきたが、これからは出力についても考えなければいけないと思っている。

 入力とは、興味のあること、必要だと思われることをどんどん吸収していくこと。アンテナを広げ、広く深く、いろいろなことをやってきた。そしてそれなりに、方向性が見えてきた。

 今後は焦点を絞って努力しながら、これまで得てきたことを外側に向かって出力していきたいと思っている。

 今年がすべての人にとってよい年でありますように。

 突然の雷雨。庭の植物に水をやったばかりなのに、大雨が降ってきた。

 何日ぶりの雨だろう。暑かっただけに、実に爽快だ。雷も盛大に鳴っている。夏だなあ。

 今日は昼の12時まで寝てしまったぞ。二日ほど夜が遅かったのと、昨日の疲労のためだ。まったく泥のように眠れたな。

 会社勤めの皆さんには申し訳ないが、このあたりはフリーの特権かも。

 しかし、個人的には今抱えている仕事を終えた数ヶ月後には、就職しようと考えている。朝寝、昼寝の特権もそう長くないのです。

 昨日昼頃、台風にビビリながら帰京。

 神戸は暑かった。二日続けて海水浴に行ったが、日に焼けて真っ赤になった。今はそれがかゆくなってきている。初日から日焼け止めを塗るんだったな。

 神戸にいる四日間はまったく仕事を離れていたし、生活ペースが自宅とは全く違うので、いい気分転換になった。ふだんの自分を客観的に見直すことができたのだ。

 次女にもいい旅行になったと思う。私もお父さんできてよかったです。

21日の夜、次女と二人で夜行列車で神戸へ帰ってきた。二日続けて海へ行って、肩や背中は真っ赤に焼けて痛い。

妹のダイナブックで書いているが、人のパソコンは勝手が違って使いにくいな。

というわけで、書くこともあまり思いつかない。帰ったらまた更新します。

 先週は何かどたばたしているうちに過ぎてしまった。日記も何回か書きかけたが、書き上げないままになってしまっていた。

 友人の葬式には行けなかった。25日に亡くなり、26日には葬式だった。前日に未亡人より連絡をいただいたが、帰宅したのが深夜。留守電には時間も場所も録音されておらず、ただ今晩がお通夜、明日がお葬式、とだけことばが残されていた。前日に私に連絡をくれたことも忘れたらしく、もう一度ていねいに訃報を知らせてくれていた。

 翌朝早く連絡してみたが、すぐに出発しても間に合わないことがわかり、断念した。かわりに神戸に住む妹が行ってくれた。妹は会葬御礼を送ってくれたが、薄墨で印刷された挨拶文を読んで、ようやく友人の死の実感が湧いてきた。元気な姿しか思い浮かばないが、彼はもうこの世にはいないのだ。

 思えば、面白い奴だった。小学校の遠足では、なぜかバスの窓から靴を落としてしまい、先生にサンダルを買ってもらって歩いた。

 同じく小学校の卒業間際、講堂の屋根裏に忍び込み、足を踏み外して天井を突き破った。必死で梁にしがみつき、クラスメートに引き上げてもらった。階段を駆け下りたところを先生に見つかり、こっぴどく叱られ、学校中の笑いものになってしまった。

 中学時代、帰りに水族館の周りの池が凍っていた。彼は氷の上をカバンを滑らせていた。もう一人の悪友・Tが大きな石を投げ入れ、氷が割れてカバンは沈んでしまった。引き上げて乾かしたが、教科書は全部ボコボコになった。

 その悪友Tが、下校途中で腹痛を起こして公衆便所に入った。彼は口いっぱいにためた大量の唾を便所の窓から吹きかけた。Tは尻を拭いた紙を振りかざして追いかけてきた。この二人は、こうしたむちゃくちゃないたずらをお互いゲラゲラ笑いながら応酬していた。そのどはずれたおもしろさを、私は間近に見て喜んでいた。

 Tは大学を「面白くない」といって退学し、消防士になった。私はその後会っていないが、昔のようなふざけた部分はなくなり、「まとも」になってしまったという。友人は何となく寂しそうだった。

 慶應を出て一流サラリーマンの道を歩んでいた彼だったが、私から見れば中学生の頃と変わっていなかった。ふざけてばかりいて、とてもエリートとは思えない男だった。

 考えてみれば、私自身も当時のまま今でも武術にこだわっている。中学の同級生のうち、つきあいがあるのは彼だけだったが、そうした大人になりきれない部分でつながっていたのかも知れない。何年も会っていなくても、全く気を遣わず、中学生に戻れる仲だった。

 それにしても、46歳は早すぎる死だ。自宅のフトンの中で眠りながらいってしまった本人はともかく、その夫を発見した奥さんや、残された高校生、中学生の二人の娘はたまらんよな。

帰国報告その他

 今日は25日か。23日は朝九時頃から練習して、その後は打ち合わせのための資料作り。女房が仕事に出ているので、子どもたちに夕食の準備をしてから、八卦の講習会へ行った。この日は二時間動きづめで疲れた。八卦の練習では、これまでで一番疲れたかもしれない。
 特に、足が疲れてなかなか眠れなかった。いったん寝ても何度も目が覚めた。旅行中に、寝坊しないよう緊張して夜中に何度も起きていたから、その余波が続いているのかもしれない。

 24日は朝八時前に家を出て、都心にて打ち合わせ二件。車中で25日締切の原稿のための資料を読む。打ち合わせの途中で睡魔が襲ってきて困る。出張の疲れが残っているようだ。
 三時頃帰宅して、ちょっと昼寝してから仕事をしようとしたが、結局仕事にならず。夜もまた寝てしまう。講習会の疲れが残っていて、爆睡。出張の疲れをとるのによかったかも。

 帰国以来、腹具合がよくない。急に暑くなって水分を摂りすぎたのと、中国での大食いが原因だ。朝はバイキング、昼から宴会料理でビールを飲み、夜はもちろん大宴会で白酒の乾杯攻勢。わかっていてもつい食べ過ぎる。今回はオーガニック農場の取材だったのでソチラ関係の料理のほか、漢方薬の流通拠点で薬膳料理なども堪能。北京に帰ったらもちろん[火考]鴨に刷羊肉。[火考]という字が出ないな。
 [火考]鴨とは北京ダック、刷羊肉は羊のしゃぶしゃぶのこと。[火考]鴨をおいしく食べるコツは、何といっても前菜をいかに耐えるかだ。ダックが出てくるまでが長いのだ。

 さて今日だ。締切だというのに、一字も書いていない。言い訳メールを出して、一息。これからがんばってやるぞ。