死ねるときが来たら

めっきりと冷え込んできたな。

ウチは東京都はいえ、郊外なので気温が低い。もうコタツやストーブを出しました。

また冬が来て、年末が来て、正月が来る。
時間がたつということがいまだに不思議で、恐ろしい気がします。

テレ朝のニュースステーションに「最後の晩餐」という企画がありました。各界有名人に、「人生最後の食事に、何を食べたいか」を語ってもらうのです。

あるとき樹木希林がゲストでした。彼女はその質問をされると、「そうね、死ねるときが来たら〜」ということばから話をはじめました。

久米宏も「死ねるときが来たら」という言葉に彼女の死生観を感じ、驚いていました。

彼女の言葉を聞いたとき、それは決して後ろ向きな人生観だとは思いませんでした。生まれた以上、死ぬことは決まっています。そのことを織り込み済みで生きる。流行りの言葉で言えば、「想定内」です。

仏教国である日本では、つい最近までこうした死生観は珍しいものではありませんでした。ダライ・ラマ猊下も、死について考えることは大いに有益で必要なことである、とおっしゃています。

死ねるときが来るまで、あと何度年末年始を経験するのでしょう。そのときが来るまで、精一杯あがきたいと思います。

 先ほど、神戸から電話があった。友人の奥さんからだった。今朝、ご主人が亡くなったというのだ。突然のことで驚いたが、朝、心臓が止まっていたという。

 ひょうひょうとして、ユーモアのある男だった。小学、中学と同じ学校に通い、大学も同じ東京だったのでつきあいがあった。私が実家に帰ったときは、よく遊びに行った。

 話には聞いたことがあるが、寝ている間に突然死んでしまうなんてことが実際にあるものなのだ。きっと苦しむこともなく、旅立ったのだろう。

 彼には二人の娘さんがいた。長女はうちと同じなので高二だ。次女は中学生だろうか。残された奥さんや娘さんたちのショックと悲しみは計り知れないだろう。

 彼とは、中学時代よく一緒に遊んだ。ふざけながら学校から帰ったものだった。中二くらいまではお互いに並の成績だったのに、中三になると彼の成績は突然急上昇した。実は頭がよかったのだ。かれはそのまま学区内でナンバーワンの県立校に入学し、大学は慶應に現役で合格した。そして一年就職浪人して、読売新聞大阪支社に入社。しかし新聞記者は向いてないといって一年ほどで辞め、製鉄会社に入った。

 彼の一族は名門で、大きくて手入れの行き届いた庭のある家に住んでいた。父親は精神科医で、お手伝いさんもいた。きれいな奥さんをもらい、可愛い娘さんも二人いて、順風満帆の人生に見えた。

 なのに、今朝は起きてこなかった。46歳といえば働き盛り。経験と体力のバランスがとれた、いちばんいいときとも言えるのではないだろうか。

 自分だって、明日の朝目が覚めるかどうかわからないのだ。自分だけでなく、家族の皆もそうなのだ。人生とは、そんな不安定で明日をも知れない中で生きていくものなのだろう。

 今週はお葬式やお通夜があるだろう。参加しなければならない。そして締め切りで仕事が山積みである。それもまた人生だ。

 明日の朝起きて来れないかも知れないので、今を精一杯生きる。月並みだが、人生とは要はそれだけなんだ、それだけでいいんだということを、改めて教えてもらった気がする。

手塚治虫マガジン」を毎号買っていたが、いきなり最終号になってしまった。出版不況のため、とか巻末に小さく書いてあった。子供も喜んで読むので、創刊号から買っていたのだが。

「バンパイア」も佳境だったのになあ。私が小学校高学年だった頃、すなわち三十数年前、母親の買い物について行って毎月「別冊少年サンデー」を買ってもらうのが楽しみだった。たぶん合計で20冊以上あったと思うのだが、ある日帰ると全部捨てられていた。あのショックは忘れられない。毎日、何度も読み返していたのだ。

「バンパイア」にはいろいろと思い出があるのだが、それはさておき。

 今回の「手塚治虫マガジン」の刊行停止で感じたのは、出版不況の深刻さ。私は業界にいるので身をもって知っているのだが、改めて突きつけられた感じだ。先日ライターの友人から聞いたのだが、有名な大手出版社でも身売り先を探しているところは多いらしい。

 確かにわれわれにも仕事は回ってこないし、何より単価が安くなった。それもとどまるところを知らず、状況はどんどん悪くなっているのである。もちろん、出版業界だけではないだろう。電機メーカーなども大変なようだ。ローンがあるのにどんどん給料を減らされ、払えなくなった人も多いようだ。

 私も妻子を抱える身、何とかしなければいけない。どうするべきかずっと考えている。

 その結果、とりあえずの結論はジタバタしない、ということだ。世の中どうなるかわからないから、目先の考えでうろうろしてもしかたがないと思うのだ。心がけるべきは自分を充実させることではないか、と思っている。

 もちろん生活や現実から遊離してはまずい。ただ、「世間並み」ということに縛られて、「世間並み」を維持するためだけに自分の人生を売り渡すことはするべきじゃないと思う。

 というわけで不況の下での生活は楽ではありませんが、己を見失わず、「百万人と雖も我往かん」の気概で参りましょう。

週刊モーニング」に、日本のブルースマンを主人公にしたマンガがある。先週木曜日に出た号に、漁師をやっているブルースハープの名手と、その友人で自殺してしまったミュージシャンの話があった。
 自殺したミュージシャンは、一曲だけヒットを出して後は売れず、死を選ぶ。漁師のハープ吹きは「あいつは音楽を金に換えようとしていた。音楽業界はみなそうだ。だからオレは金と関係のないところで音楽をやる」といって漁師を選んだ。そして時折ライブでハープを披露するわけだ。

 自分の同年代の仕事仲間が、「どうもやる気が出ない。これは大きな問題だ。回りの同年代の奴はみんなそういってる。去年までは仕事をしていたのに、今年急にダメになった」などと言っている。
 私の場合はもう15年くらい前からそんな状態なので、「ほっほっほ。やっと君たちもわかってくれたか……」などど心の中で呟いているのだが。

 40代も半ばになると、「倦怠期」という言葉が実感を持ってくる。本来は夫婦関係に使う言葉なのだろうが、これは仕事にも当てはまるのではないだろうか。
 仕事には慣れきって、何も考えないでもできてしまう。新しいことを考えたり、やるのは苦痛。毎日同じことの繰り返し。だんだん若い頃のような体力、気力が衰える。

 好きで始めた仕事だったとしても、二十年以上もやっていれば飽きもするし、好みも変わる。いつの間にか仕事が「時間とエネルギーを金に換える」だけになっている。

 もちろん継続は大事なことだ。それから、年とともに仕事のやり方を変えることももちろん必要だ。そんなことはわかっているのだが、なんだかやる気がなくなったのもまた事実なのだ。

 漁師をしながらブルースを続ける。自分にはこんな生き方はできないだろう。自分の場合は好きなことを仕事にしたつもりだが、いつの間にか好きなんだか嫌いなんだか、楽しいのか辛いのか、わからなくなってしまった。

 先日、本應寺の品愚上人がこんなことを言っていた。「このモノが売れない時代に、モノを売ろうとするのは修羅の世界だよ」。

 確かに、なんとか少しでも部数を伸ばそうとあくせくする本作り、雑誌作りは修羅の所業だ。修羅とは、要するに争いの世界に生きる存在のことである。

 とはいっても、自分自身で信じているのは、「お金は後からついてくる」ということ。自分の好きなこと、得意なことにとことんこだわって追求していけば、必要なものは必ず与えられると思うのだ。
 お金はあくまでも物々交換に替わって採用されているシステムにすぎない。お金自体を目標にするのは本末転倒であり、ナンセンスではないだろうか。

 人生のモチベーションは、やはり喜びだと思う。楽しいから仕事をする。楽しそうだから、人が集まる。

 それが世間的にどれだけ報われるか、というのは自分自身でコントロールできる範囲を超えている。ある人はすぐに認められ、お金も手に入るかも知れない。ある人は生きているうちには世間的に成功しないかも知れない。ゴッホだってそうだった。

 だが、コントロールできないことに一喜一憂してもしかたがない。「今日食べるものと、今晩寝るところがあれば、それでヨシとする事ね」と、日木流奈くんも言っていた。

 食べるものと寝るところはとりあえずある。つまり、生かされている。それは、大いに感謝すべきことだと思うのだ。
 もちろん不満をいえばキリがない。大きな家に住みたいとか、もっと経済的な余裕が欲しいとか。
 だが、すべて満たされるということは、あり得ないことだ。「満たされる」ということ自体、「満たされない」という概念とセットになっている。どこまで行っても人間は不満を持つ。解決策は「足ることを知る」以外にないのだ。